AI時代の発信幻想 #07
普通の人が発信する意味は、まだ残っているのだろうか
AIが文章を書く時代になった。
少し前までなら、文章を書くことは「書ける人」のものだったのかもしれない。
文章を書く仕事をしている人。
専門的な知識を持っている人。
何かで成功した人。
人に教えられる実績を持っている人。
そんな人たちが発信するものだと、私自身もどこかで思っていた。
私は22歳から建築の仕事をしてきた。
現場に出て、職人さんと仕事をして、お客さんと話をして、見積もりを作り、会社を経営してきた。
35年以上、この世界で生きてきた。
建築のことなら、経験から話せることはたくさんある。
でも、自分が文章を書いて世の中に発信する人間になるとは思っていなかった。
それが60歳を前にして、ブログを始めた。
最初は本当に分からないことばかりだった。
WordPress。
SEO。
Search Console。
インデックス。
検索順位。
表示回数。
クリック数。
聞いたことはあっても、自分には関係のない世界だった。
文章を書くことだって同じだった。
頭の中には、35年以上の経験がある。
現場で失敗したこともある。
お客さんに喜んでもらったこともある。
会社を続ける中で悩んだこともある。
でも、それを文章にしようとすると、なかなかうまく書けない。
そこでAIを使うようになった。
自分が考えていることを話す。
分からないことを質問する。
文章がおかしければ相談する。
そうやってAIとやり取りをしながら、一つずつ記事を書くようになった。
AIを使えば、文章は確かに整う。
誤字を直してくれる。
言葉を考えてくれる。
文章の順番を整理してくれる。
自分一人では思いつかなかった表現を提案してくれることもある。
便利だと思う。
私のように、文章を書く仕事をしてこなかった人間でも、発信できるようになった。
でも、ブログを続けているうちに、一つ疑問が出てきた。
AIがこれだけ文章を書ける時代に、私がわざわざ書く意味はあるのだろうか。
AIに聞けば、たいていのことは教えてくれる。
建築についても、ブログについても、仕事についても、一般的な答えならすぐに返ってくる。
文章だって数秒で作れる。
それなら、専門家でも有名人でもない普通の人間が、自分の経験を書く意味はどこにあるのだろう。
そんなことを考えたことがある。
私はブログの成功者ではない。
ブログを始めたばかりの頃は、アクセスもほとんどなかった。
記事を書いても読まれない。
検索に出ない。
Search Consoleを見ても数字が動かない。
何が正しいのかも分からない。
AIに相談して直してみる。
また記事を書く。
それでも結果が出ない。
そんなことの繰り返しだった。
もし私が、
「ブログで成功する方法」
を書こうとしたら、たぶん書けない。
まだ成功していないからだ。
「AIを完全に使いこなす方法」
も書けない。
私自身、今でも分からないことだらけだからだ。
でも、あるとき思った。
成功していない今だから書けることもあるのではないか。
初めてWordPressを触ったときに何が分からなかったのか。
Search Consoleを初めて見たとき、何を見ればいいのか分からなかったこと。
記事を書いても検索に出ず、「なぜだろう」と悩んだこと。
数字が少し増えただけで嬉しかったこと。
逆に数字が下がって落ち込んだこと。
AIに相談して、「なるほど」と思ってやってみたのに、思ったようにならなかったこと。
そして、また別の方法を試したこと。
成功してしまった後では、忘れてしまう感覚なのかもしれない。
でも私は、今その途中にいる。
だから、そのまま書くことができる。
建築の仕事でも同じだった。
22歳の頃から、何でも知っていたわけではない。
分からないことばかりだった。
失敗した。
怒られた。
人に教えてもらった。
現場で覚えた。
一つできるようになって、また次のことを覚えた。
それを35年以上繰り返してきた。
今では人から聞かれる立場になったけれど、最初からそうだったわけではない。
ブログも同じなのかもしれない。
今の私は、まだ途中にいる。
完成していない。
だからこそ、その途中を残しておく意味があるように思えてきた。
AIは、きれいな文章を作ることができる。
でも、
22歳で建築の世界に入り、35年以上仕事を続けてきた時間は、AIにはない。
現場で失敗して悔しかった日のこともない。
お客さんから言われた一言に救われた経験もない。
会社を続けるために悩んだ夜もない。
60歳を前にして初めてブログを始め、
「こんなことも知らなかったのか」
と自分で笑いながら、一つずつ覚えていく経験もない。
それは、私が実際に生きてきた時間だからだ。
AIに文章を手伝ってもらったとしても、その材料になる経験までAIが生きてくれるわけではない。
そこに、人が発信する意味が残っているのではないかと思う。
私は「普通の人」という言葉を使ったけれど、本当は普通の人なんていないのかもしれない。
同じ35年を生きた人はいない。
同じ仕事をしていても、経験したことは違う。
同じ失敗をしても、感じることは違う。
同じ年齢でも、今考えていることは違う。
だから、文章が上手だから価値があるわけではない。
有名だから価値があるわけでもない。
成功しているから価値があるわけでもない。
その人が実際に経験したことを、その人自身の言葉で残す。
そこには、まだ意味がある。
むしろAIが何でもきれいにまとめてくれる時代だからこそ、そういうものの価値は残るのではないかと思っている。
私の記事を何万人もの人が読む必要はない。
もちろん、多くの人に読んでもらえたら嬉しい。
アクセスが増えれば嬉しいし、ブログとして結果も出したい。
でも、たった一人でも、
「自分も同じことで悩んでいた」
「60歳を前にしても、新しいことを始めていいんだ」
「失敗しながらでも続けていいんだ」
そう思ってくれる人がいたら、その記事を書いた意味はある。
ブログを始めて、私は多くのことを学んだ。
そして、まだ分からないこともたくさんある。
未完成のまま続けている。
それが今の私だ。
以前なら、
「ちゃんと分かってから書こう」
と思っていたかもしれない。
でも今は少し違う。
分からないから考える。
迷っているから書く。
途中だから残しておく。
それでもいいと思うようになった。
成功してから振り返る記録だけが、誰かの役に立つわけではない。
成功するかどうかも分からない人間が、迷いながら進んでいる記録に救われる人もいるかもしれない。
私自身、そんな文章を読みたいと思うことがある。
完璧な答えではなく、
「この人も迷っているんだな」
と思える文章だ。
AIが文章を書ける時代になった。
これからもっと上手に書けるようになるだろう。
それでも、人が発信する意味はなくならないと思う。
AIには文章を手伝ってもらえばいい。
分からないことも聞けばいい。
私もこれから使い続ける。
でも、何を経験したのか。
何に迷ったのか。
何が嬉しかったのか。
何を失敗したのか。
そして、そこから何を考えたのか。
そこは人間にしか書けない。
だから私は、これからも自分の途中を書いていこうと思う。
成功者としてではない。
専門家としてでもない。
今も分からないことがたくさんある、一人の人間として。
普通の人だから発信する意味があるのではない。
一人の人間が実際に生き、経験したことだから、発信する意味が残っている。
今の私は、そう思っている。
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