AI時代の発信幻想 #05
AI時代の発信幻想
AI時代になって、誰でも発信できるようになった。
文章が得意でなくても、AIに相談できる。
画像も作れる。
分からないことがあれば、その場で聞くこともできる。
少し前までなら専門的な知識が必要だったことを、今では一人でできるようになった。
私自身、その一人だ。
私は22歳から建築業界で仕事をしてきた。
現場に出て、職人さんと仕事をして、お客さんと話をして、見積もりを作り、失敗もしながら35年以上この仕事を続けてきた。
建築についてなら、長年の経験からある程度の判断ができる。
ところが、60歳を前にしてブログを始めた。
それまでの私にとって、ブログはまったく別の世界だった。
WordPress。
SEO。
Search Console。
インデックス。
クリック数。
表示回数。
最初は、言葉の意味すら分からないものがいくつもあった。
それでも始めてみた。
分からなければ調べる。
それでも分からなければAIに聞く。
「これはどういう意味なのか」
「次は何をすればいいのか」
「この記事はどう直したらいいのか」
そんなことを一つずつAIに相談しながら、ブログを作っていった。
最初は、それが面白かった。
昨日まで知らなかったことが、今日は少し分かる。
できなかったことが、一つできるようになる。
建築とはまったく違う世界に入ったことで、60歳を前にして、また初心者になったような感覚だった。
AIがなければ、ここまで続けられなかったかもしれない。
文章を書くこともそうだった。
私は長い間、現場で仕事をしてきた。
頭の中には経験がある。
失敗したこともある。
お客さんとの出来事もある。
職人さんから教えてもらったこともある。
会社を続けてきた中で考えてきたこともある。
でも、それを文章にするとなると別だった。
何から書けばいいのか分からない。
うまく言葉にできない。
そんなとき、AIと話をしながら考えを整理すると、少しずつ文章になっていった。
「これなら、自分にも発信できるかもしれない」
そう思った。
ところが、ブログを続けているうちに、少しずつ別のものを見るようになった。
アクセス数。
検索順位。
クリック数。
表示回数。
インデックスされているか。
記事が読まれているか。
最初は、
「自分の経験を残してみたい」
それだけだったはずなのに、数字が見えるようになると、その数字が気になる。
昨日より増えた。
今日は減った。
この記事は検索に出た。
この記事はなかなか出てこない。
一つ結果が出ると嬉しい。
すると、次はもっと欲しくなる。
もっと読まれたい。
もっと検索に出したい。
もっとアクセスを増やしたい。
発信する自由を手に入れたはずなのに、いつの間にか発信することに追われるようになっていた。
これはブログだけではないのかもしれない。
SNSでも同じだと思う。
表示回数。
いいね。
フォロワー。
反応。
数字が見えるから、気になる。
そしてAIが登場したことで、さらにできることが増えた。
文章も作れる。
画像も作れる。
アイデアも出してくれる。
調べものも手伝ってくれる。
便利になった。
確かに便利になった。
でも、できることが増えたことで、
「もっとできるのではないか」
という気持ちまで増えていった。
AIによって、可能性は広がった。
でも同時に、「もっとできるはず」という終わらない不安も増えた。
私は、この状態を自分の中で、
「発信幻想」
と呼ぶようになった。
発信すれば何かが変わるかもしれない。
ブログを続ければ、いつか結果が出るかもしれない。
AIを使えば、もっとできるかもしれない。
もう少し頑張れば、アクセスが増えるかもしれない。
もう一本書けば、何かが起きるかもしれない。
可能性があるから、やめられない。
でも、可能性があるからこそ、追いかけてしまう。
不思議なものだ。
私は35年以上、建築の仕事を続けてきた。
建築では、目の前に仕事がある。
壁を直せば壁がきれいになる。
床を張れば床が完成する。
工事が終われば、お客さんに引き渡す。
良くも悪くも、仕事には一区切りがある。
ところが、発信には終わりがない。
一本記事を書いても、次の記事がある。
アクセスが増えても、もっと上がある。
検索順位が上がっても、また下がることもある。
AIも同じだ。
今日覚えたと思ったら、また新しいものが出てくる。
終わりがない。
だからこそ、私は時々考えるようになった。
「私は、何のために発信しているのだろう」
アクセスを増やすためなのか。
数字を見るためなのか。
AIを使いこなすためなのか。
もちろん、ブログをやる以上、読んでもらいたい。
結果も出したい。
収益につながれば嬉しい。
それを否定するつもりはない。
でも、それだけになってしまったら、たぶん私は続かない。
私には、35年以上仕事をしてきた時間がある。
失敗もした。
うまくいったこともある。
会社を続けてきた中で、何度も迷った。
人との出会いもあった。
家族との時間もある。
犬たちとの暮らしもある。
そして今、60歳を前にして、まったく知らなかったブログとAIの世界に挑戦している。
それを、自分の言葉で残してみたい。
今はそう思っている。
AIは文章を整えてくれる。
考え方を整理してくれる。
自分では気づかなかった見方を教えてくれることもある。
でも、
「私は何を経験したのか」
「そのとき何を感じたのか」
「なぜ続けようと思ったのか」
そこだけは、AIには代われない。
私自身が生きてきた時間だからだ。
だから、このブログではAIの便利な使い方だけを書くつもりはない。
AIの専門家として何かを教えるつもりもない。
成功した人間として、ブログの成功法則を書くつもりもない。
むしろ逆だ。
分からない。
迷う。
失敗する。
数字を見て喜ぶ。
数字を見て落ち込む。
AIに相談する。
またやってみる。
その繰り返しだ。
それでも、昨日できなかったことが今日は少しできるようになっている。
60歳を前にしても、人間はまだ新しいことを始められる。
私は今、それを自分自身で確かめている途中なのだと思う。
AI時代になって、誰でも発信できるようになった。
だからこそ、発信することに追われる人も増えるのかもしれない。
AIによって自由になったはずなのに、AIによって焦ることもある。
数字を見られるようになったから、数字に縛られることもある。
便利になったから、もっと便利なものを探してしまう。
そこには、少し不思議な矛盾がある。
それでも私は、発信をやめようとは思っていない。
なぜなら、ブログを始めたことで、今まで知らなかった世界を見ることができたからだ。
AIと話すことで、自分自身の考えに気づくこともあった。
文章を書くことで、35年以上前の出来事を思い出すこともあった。
そして何より、
「まだ自分にも、新しいことができる」
と思えるようになった。
だから私は、これからも書いていく。
数字を見る日もある。
迷う日もある。
AIに相談する日もある。
また新しいことを試すと思う。
でも、その途中で一度立ち止まって、
「自分は何のために発信を始めたのか」
それだけは忘れないようにしたい。
成功した人がAIを教えるブログではない。
60歳を前に初めてブログという世界に入り、AIと一緒に迷い、失敗し、それでも発信を続けている一人の人間の記録。
それが、
「AI時代の発信幻想」
です。
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