AI時代の発信幻想 #02
「100記事書けば稼げる」を信じていた頃があった
ブログを始めた頃、「まずは100記事書け」という言葉を何度も見た。
100記事を超えた頃からアクセスが伸びる。
継続すれば収益化できる。
最初は誰でも伸びない。
だから、とにかく書け。
そんな言葉を信じていた。
実際、その考えに救われていた部分もある。
アクセスがなくても、「まだ記事数が足りないだけ」と思えた。
収益0でも、「100記事まで行けば変わる」と考えられた。
だから書けた。
仕事が終わったあと、夜中に記事を書く。
休日にも記事を書く。
AIツールを試しながらタイトルを考える。
眠い目でWordPressを開く。
その繰り返しだった。
でも途中から、少しずつ違和感が出てきた。
100記事を書いても変わらない人が増えていた。
いや、正確には、昔より「変わりにくくなっている」気がした。
検索結果を見ても、企業サイトが並んでいる。
AI記事も大量に増えている。
個人ブログの居場所が狭くなっている感覚がある。
それでも、昔の成功法則だけは今も流れ続ける。
「まずは100記事」
もちろん、継続は大事なのだと思う。
でも最近は、「100記事」という数字自体が、少し特別な意味を持ちすぎている気がしている。
本当は、100記事を書けば人生が変わるわけではない。
でも数字があると、人は安心する。
積み上げている感覚を持てる。
だから私たちは、アクセスより先に「記事数」を見始める。
今日は何記事書けたか。
あと何記事か。
そこに希望を置く。
たぶん、多くの人は不安なのだと思う。
AI時代になって、何が正解なのか分からなくなった。
ブログ。
SNS。
note。
動画。
ショート動画。
AI活用。
全部やったほうがいい気もする。
でも時間は限られている。
本業もある。
生活もある。
だから「100記事」という分かりやすい目標にすがりたくなる。
私もそうだった。
でも最近は、別のことを考えるようになった。
本当に必要なのは、「100記事達成」なのだろうか。
それとも、「壊れず続けること」なのだろうか。
建築やリフォームの現場では、急いだ仕事は後で問題が出ることがある。
焦って進めた工事は、結局どこかに無理が出る。
発信も少し似ている気がしている。
無理に量産すると、途中で苦しくなる。
数字だけを追うと、自分の感覚が消えていく。
そしてある日、突然書けなくなる。
だから最近は、「記事数」より「続け方」のほうが気になっている。
100記事を書けるかではなく、3年後もまだ発信しているか。
そっちのほうが難しい気がしている。


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