AI時代の発信幻想 #06
発信をやめた人たちは、どこへ行ったのだろう
昔、よく更新していたブログが、ある日突然止まっていることがある。
SNSでも同じだ。
毎日のように投稿していた人が、気づくといなくなっている。
最初は、あまり気にしていなかった。
「忙しくなったのかな」
「別のことを始めたのかな」
その程度に思っていた。
でも、自分がブログを書くようになってから、少し考え方が変わった。
発信をやめた人たちは、どこへ行ったのだろう。
私は22歳から建築の仕事を始め、35年以上この仕事を続けてきた。
現場に出て、仕事を覚え、独立して、会社を経営してきた。
建築についてなら、経験してきたことがたくさんある。
ところが、60歳を前にブログを始めたとき、私は完全な初心者だった。
WordPressもよく分からない。
SEOも分からない。
Search Consoleを見ても、最初は数字の意味さえよく分からなかった。
それでも記事を書いた。
一つ書いて、また一つ書いた。
分からないことが出てくるたびに調べ、AIにも相談した。
そして、いつの間にか一つだったブログが増えていった。
建築のこと。
リフォームのこと。
ケーキのこと。
ラーメンのこと。
日々感じたこと。
自分がこれまで生きてきた中で経験したことを、いろいろな形で文章にするようになった。
最初の頃は、記事を書けば少しずつ読まれるようになると思っていた。
もちろん、そんなに簡単ではなかった。
記事を書いても、ほとんど読まれないことがある。
Search Consoleを開いても、表示されているだけでクリックされない。
昨日と数字がほとんど変わっていないこともある。
時間をかけて書いた記事なのに、誰にも届いていないように感じる夜もあった。
そんなとき、ネットを開けば成功した人の話が目に入る。
「ブログで収益化できました」
「数か月でアクセスが増えました」
「AIを使えば効率よく記事を書けます」
そういう言葉を見る。
すると、自分は何をやっているのだろうと思うことがある。
私は本業では35年以上仕事を続けてきた。
会社を経営し、お客様や職人と向き合い、失敗も経験してきた。
それなのにブログの世界へ入れば、私は初心者だ。
思うようにいかない。
数字も伸びない。
収益にも簡単にはつながらない。
それでも次の記事を書く。
なぜだろう。
以前は、自分でもよく分からなかった。
でも最近、少し分かってきた気がする。
発信を続けるというのは、結果が出ている間だけ続けることではないのかもしれない。
結果が見えない時間をどう過ごすか。
そこに一番難しいところがある。
記事を書く。
公開する。
数字を見る。
少し期待する。
思ったほど伸びない。
また考える。
直す。
そして次の記事を書く。
私は、この繰り返しを何度もしてきた。
正直に言えば、面倒になる日もある。
今日は書かなくてもいいのではないかと思う日もある。
ブログをやめたところで、本業がなくなるわけではない。
生活できなくなるわけでもない。
だったら、なぜ続けるのか。
たぶん私は、ブログそのものだけを続けたいわけではない。
自分がまだ何か新しいことに挑戦できるのかを、確かめたいのだと思う。
60歳を前にして始めたことだからこそ、簡単に答えを出したくない。
35年以上続けてきた建築の仕事だって、最初から何でもできたわけではなかった。
失敗した。
怒られた。
覚えた。
また失敗した。
それを何年も繰り返して、今がある。
そう考えれば、始めたばかりのブログで結果が出ないからといって、すぐに向いていないと決めるのもおかしな話だ。
発信をやめた人たちは、どこへ行ったのだろう。
本当のところは分からない。
別の仕事を始めた人もいるだろう。
家族との時間を大切にするようになった人もいるだろう。
発信することに疲れた人もいると思う。
そして中には、結果が出る少し前でやめた人もいるのかもしれない。
ただ、それを外から見て「もったいない」と簡単に言うこともできない。
続けることは、それだけでエネルギーを使う。
特に今は、やることが多い。
記事を書く。
画像を用意する。
SEOを考える。
Search Consoleを見る。
SNSもある。
AIも次々と新しいものが出てくる。
便利になったはずなのに、気づけば「やらなければならないこと」が増えている。
全部やろうとすると疲れる。
私自身、それを何度も感じている。
だから最近は、少し考え方を変えるようになった。
全部できなくてもいい。
毎日書けなくてもいい。
数字が伸びない日があってもいい。
疲れたら少し休んでもいい。
大切なのは、休んだことではなく、また戻ってこられることなのではないか。
建築の仕事を35年以上続けてきた私でも、ずっと同じ力で走ってきたわけではない。
忙しい時期もあった。
苦しい時期もあった。
うまくいかない時期もあった。
それでも完全に投げ出さなかったから、今がある。
ブログも同じなのかもしれない。
私はまだ、ブログで大きな成功をしたわけではない。
むしろ今も試している途中だ。
アクセスを見て喜ぶ日もあれば、数字を見て落ち込む日もある。
記事を書き直すこともある。
「これでいいのか」とAIに相談することもある。
それでも、昨日より一つ分かったことがあれば、それでいいと思えるようになってきた。
一記事書けば、一記事分の経験が残る。
一つ失敗すれば、一つ失敗した理由を考えられる。
一つ数字が動けば、なぜ動いたのかを考えられる。
その積み重ねは、すぐには収益にならなくても、自分の中には残っていく。
発信をやめた人たちは、どこへ行ったのだろう。
今でも、ときどき考える。
でも最近は、もう一つ考えるようになった。
「自分は、どこまで行けるのだろう。」
私はまだ、その答えを知らない。
だから、もう少し続けてみる。
無理に毎日走らなくてもいい。
疲れたら休めばいい。
数字に振り回される日があってもいい。
ただ、自分から終わりにはしない。
いつか振り返ったとき、
「あのとき、やめなくてよかった」
そう思えるところまで行ってみたい。
60歳を前に始めたブログだからこそ、急ぐ必要はない。
35年以上かけて今の仕事を続けてきたように、ブログも自分の速度で続けていけばいい。
発信をやめた人たちが、どこへ行ったのかは分からない。
でも私は、まだここにいる。
今日もまた、一つ記事を書いている。
それが今の、私の答えなのだと思う。
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