AIツールを試し続けてしまう理由

AIツール観察記録

AI時代の発信幻想 #09

AIツールを試し続けてしまう理由

新しいAIツールが出ると、つい気になってしまう。

文章を書くAI。

画像を作るAI。

動画を作るAI。

調べものをしてくれるAI。

少し前までなら、そんなものが次々と出てくる世界なんて想像もしていなかった。

私は22歳から建築業界で仕事をしてきた。

現場で覚え、失敗して、職人さんに教えてもらい、お客さんに怒られながら仕事を覚えてきた。

長い間、仕事というのはそういうものだと思っていた。

ところが、60歳を前にしてブログを始めた。

文章を書くことも、WordPressも、SEOも、Search Consoleも、最初はほとんど分からなかった。

分からないことが出てくるたびに調べる。

それでも分からなければAIに聞く。

すると、今まで自分一人ではできないと思っていたことが、少しずつできるようになった。

これは私にとって、かなり大きな出来事だった。

だからだと思う。

新しいAIツールを知ると、

「これは何ができるんだろう」

と試したくなる。

画像生成ができると聞けば使ってみる。

文章を考えてくれると聞けば試してみる。

新しい機能が追加されれば触ってみる。

便利だから、という理由だけではなかった。

たぶん私は、

「自分一人でも、まだ何かできるのではないか」

という可能性を探していたのだと思う。

建築の仕事では、35年以上の経験がある。

現場を見れば、ある程度のことは分かる。

見積もりもする。

職人さんとも話せる。

お客さんとも打ち合わせができる。

長く続けてきた仕事だから、自分なりの判断基準もある。

でも、ブログの世界では違った。

私は完全な初心者だった。

分からない言葉が次々に出てくる。

一つ覚えたと思ったら、また次が出てくる。

そんな私の横にAIがいた。

質問すると答えてくれる。

分からなければ、もう一度聞ける。

何回聞いても嫌な顔をしない。

これは初心者の私には、とてもありがたかった。

だから、AIを使えば使うほど面白くなった。

ところが、しばらくすると少し変なことが起きた。

便利になっているはずなのに、なぜか焦るようになった。

新しいAIが登場した。

また別のAIが話題になっている。

今度はこんなことまでできるらしい。

それを見ると、

「これも覚えた方がいいのかな」

と思う。

そして、試してみる。

すると今度は、別の新しいものが出てくる。

また気になる。

少し触ってみる。

気がつけば、AIを使って何かをするためではなく、AIについていくためにAIを触っているような感覚になっていた。

これは少し違うのではないか。

そう思うようになった。

考えてみれば、私はAIの専門家になりたいわけではない。

新しいAIツールを誰よりも早く紹介したいわけでもない。

AIの機能を全部覚えたいわけでもない。

私がやりたかったのは、もっと単純なことだった。

自分が35年以上やってきた建築の経験を残したい。

自分が経験してきたことを文章にしたい。

ブログというものを、自分の手で育ててみたい。

今までやったことのないことに挑戦してみたい。

それをAIが手伝ってくれた。

本来は、それだけだった。

それなのに、AIがどんどん進化していくと、

「知らないと遅れる」

「使わないと置いていかれる」

そんな気持ちが少しずつ生まれていた。

不思議なものだ。

AIは人間の時間を短縮するために生まれているはずなのに、新しいAIを追い続けることで時間を使ってしまうことがある。

便利になるほど、覚えることが増える。

できることが増えるほど、

「もっとできるのではないか」

と思ってしまう。

そして、また次のAIツールを探す。

最近になって、ようやく少し分かってきた。

大切なのは、いくつAIを知っているかではなかった。

何種類のAIを使えるかでもなかった。

AIを使って、自分が何をするのか。

結局は、そこだった。

私の場合ならブログを書くこと。

建築の経験を残すこと。

自分が実際にやってみて、失敗したことを書くこと。

そして、60歳を前に始めた新しい挑戦を続けること。

AIは、それを助けてくれる道具だ。

そう考えると、少し楽になった。

とはいえ、新しいAIが出てきたら、私はたぶんまた試すと思う。

性格なのだろう。

新しいものを見ると、

「何ができるんだろう」

と思ってしまう。

でも、それでいいとも思っている。

試してみて、自分に必要なら使えばいい。

必要なければ、無理に使わなくてもいい。

全部を追いかける必要もない。

AIの進化する速度と、自分が歩く速度は同じでなくてもいい。

私はAIとの付き合い方を、そんなふうに考えるようになった。

60歳を前にして、ブログを始めた。

AIも使い始めた。

分からないことだらけだったから、いろいろなものを試してきた。

その途中で気づいたことがある。

私は新しいAIツールそのものを探していたのではないのかもしれない。

「自分には、まだ何ができるのだろう」

それを確かめたくて、次々と試していたのだと思う。

AIの世界は、これからも変わり続ける。

もっと便利なものも出てくるだろう。

今できないことも、簡単にできるようになるかもしれない。

それでも最後に残るのは、

「その道具を使って、自分は何をしたかったのか」

なのだと思う。

だから私は、これからも新しいAIを試す。

でも、追いかけるためではない。

自分がまだ知らない可能性を、一つずつ確かめるために。

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